積翠園の特徴・様式
面積約10,000㎡の大池庭は、東から西にかけて細長く、東端の向こうには、かすかに東山連峰を望むこともできます。池は、東寄りの位置に設けられた石橋を境に、大小 2つに分けられ、東側の小池は一段高く造られています。南東角には、往時の滝の石組の一部も見られます。西の大池には、東部に大島が1島、中央部に小島が 1島、それぞれ配されています。昭和期の作庭家・日本庭園史の研究家である重森三玲氏は、大島の配置が山畔に接していること、小島が池中にあること、そして前述の滝の石組が山畔に組まれていることに、平安時代の庭園の特徴を見いだしていると伝えています。さらには、大島の正面にあたる対岸がやや出っ張っているのは、ここに平安時代の寝殿建築を設けるためだったのではないかと考察しています。
歴史
みどころ
- 石橋とガラス橋
- 滝
- お地蔵様と石灯籠
- 積翠園に住む生き物達
- 大島と小島
- 大島の近くには現在、5 つの「夜泊石(よどまりいし/やはくせき)」が一列に配置されています。この 5つの石は、水上では1 石ずつのように見えますが、水底では 2つの石が人字形に組まれており、平安時代初期からの石組手法のひとつとされています。また、小島の近くにも複 数の「岩島(がんとう)」と呼ばれる石組 だけ でできた島が見られます。これは小島の土砂が洗い流されてできたものであり、本来は島の護岸石組であるとされています。作庭家・重森三玲氏はこうした点にも、古い作庭であることの痕跡を見て取っています。
- 夜泊石
- 大島近くに一列に並ぶ 5 つの石は夜泊石(よどまりいし/やはくせき)と呼ばれ、蓬莱島へ仏薬財宝を求め長い旅路を経た後、夜の海に停泊している舟の姿を表しています。にぎわいや繁栄の象徴であり、縁起の良いこの庭園様式は、京都ではほかに「西芳寺(苔寺)」、「鹿苑寺(金閣寺)」、「大覚寺」の庭園でも見られます。
- 石橋とガラス橋
- 池を大小 2つに分ける石橋は以前からこの庭にあったもので、その貴重な庭園遺構を後世に伝えるために、極力手を加えることなく石橋に強化ガラスの橋を架けました。古くから伝わる石橋を、ガラス越しに見ることができます。
- 滝
- 当園内の滝は荒廃した石組みと既存の景石を再利用し、昭和期の作庭家・重森三玲氏の実測図とその著述をもとに再現されました。池への地下水の供給量を見直し、供給先を滝口に移設するなど水系システムをリニューアルしたことで、水質が改善され美しい水景が再生されました。
- お地蔵様と石灯籠
- 当ホテルに隣接する妙法院によると、お地蔵様は江戸時代(1603~1868年)の間に設立され、大島にある石灯籠は昭和時代より園内にあるといわれています。
- 積翠園に住む生き物達
- 鯉、亀、トンボ、鴨、ザリガニ、サギなどの生きもの達が「積翠園」に生息しています。
~ 数寄屋で体感する日本の伝統文化 ~
「積翠園」のガラスの橋を渡り、石畳の小路を進むと、数寄屋造りの茶室に辿り着きます。数寄屋とは、風流を好む数寄者が好みに任せて作った家、つまり茶室を意味します。フォーシーズンズホテル京都の茶室の床部分は、京都伏見の深草の土を使用した叩き土間となっており、数奇屋造りならではの天井の木組みや番傘照明が温もりのある空間を生み出しています。京都出身の建築家・山本良介氏によってデザインされた茶室は、京都産の檜が主に使用され、釘を使わずに建てられた日本文化と匠の技の結晶といえます。内部は「楓樹」と「積翠亭」という、2つの特別な空間によって構成されていますが、どちらもガラス張りの室内から日本画の世界のような 800年の歴史ある池庭を望む特等席です。四季の移ろいを感じながら心静かに時を過ごしていると、周囲の自然と一体化し、まるで平安時代にタイムスリップしたかのような感覚を覚えることでしょう。
- 楓樹
ホテルに隣接する妙法院門跡門主僧侶であった菅原信海氏によって命名された茶室内のラウンジ「楓樹」では、夕暮れ時の池庭を眺めながら、テラスで日本酒やシャンパンなどをお楽しみいただけます。日本酒のなかには数々の受賞歴を誇る竹野酒造によって醸された、ホテルオリジナルの日本酒もあります。京丹後のオーガニック米を原料に、杜氏・行待佳樹氏が金剛童子山の伏流水で緻密に仕上げた逸品です。また、「楓樹」ではプライベートヨガや坐禅などのアクティビティから、舞妓さんや芸 妓さんとのプライベートお座敷遊びなどここでしかできない特別な体験をご用意しています。蓬萊思想の日本庭園を前にして行われる瞑想は、悟りの境地に近づく貴重な体験となるでしょう。さらには能楽といった伝統的な文化イベントも随時開催。一瞬であっても現世を離れ、心が自由になることの至福をお楽しみください。
京都の珍しい体験